JMIこころの健康調査・相談室レポート
1999年12月 No.2
メンタル・ヘルス研究所
企業など組織にとっては依然として厳しい環境が続く中、当研究所に寄せられる相談の内容も、こうしたリストラや雇用問題に関連したものが多くなる傾向を示している。
また、自己責任という言葉が叫ばれる中で、ある意味では、これまでの依存しあいながら成り立ってきた社会にも、ほころびが広がりつつある。今回はその一例として、最近相談が増えつつある「境界例」についてまとめた。
(JMI健康調査のフォロー機能として開設されている「心の健康相談室」は、電話による相談と予約制の面接相談があります)
境界例とは
境界例という言葉は日本ではまだ一般的ではないと思われるが、カウンセラーなどの間では、その対応に苦慮する部分も多く、適切な表現かどうかは分からないが、“恐れられている”存在になっている。研究所の相談室にも境界例と思われる状態を示す人の相談がかなり増えている。
境界例については、1940年ころから、米国の精神分析学派を中心に研究されるようになり、日本でも60年代になって注目されるようになったという。当初は精神分裂病の軽いものと考えられていた。50年代になると、分裂病と神経症の移行状態として考えられ、分裂病、神経症のいずれにもなるという意味から「境界状態」という概念が生まれた。60年代になって「人格障害」の概念が出現、大きな広がりをみせて「境界人格構造」の概念に発展した。
そして80年代に米国の「精神障害診断基準」〜精神疾患の分類と診断の手引き〜(DSM−V、1980)に境界例が登場する。境界例は、境界人格障害(Borderline Personality Disorder)と分裂型人格障害(Schizo typed Personality Disorder)に分類されている。
今日では、境界例はこうして人格障害の概念として捉えられるようになった。
境界例の症状
境界例は、正式には「境界性人格障害」という。95年に改訂されたDSM−Wでも、人格障害の一つとして境界性人格障害を位置付け、以下の9項目中、少なくとも5項目に該当する場合、境界性人格障害と判断している。
- 現実に、または想像の中で見捨てられることを避けようとする異常な努力
注:基準5で取り上げられる自殺行為または自傷行為は含めないこと - 理想化とこき下ろしとの両極端を揺れ動くことによって特徴づけられる不安定で激しい対人関係様式
- 同一性障害:著名で持続的な不安定な自己像または自己感
- 自己を傷つける可能性のある衝動性で、少なくとも2つの領域にわたるもの(例:浪費、性行為、物質乱用、無謀な運転、むちゃ食い)
注:基準5で取り上げられる自殺行為または自傷行為は含めないこと
- 自殺の行動、そぶり、脅し、または自傷行為の繰り返し
- 顕著な気分反応性による感情不安定性(例:通常は2、3時間持続し、 2、3日以上持続することはまれな、エピソード的に起こる強い不快気 分、いらいら、または不安)
- 慢性的な空虚感
- 不適切で激しい怒り、または怒りの制御の困難(例:しばしばかんしゃ くを起こす。いつも怒っている。取っ組み合いの喧嘩を繰り返す)
- 一過性のストレス関連性の妄想様観念または重篤な解離性症状
また、境界性人格障害は、他の人格障害の特徴をあわせもってもっていることが多いと考えられている。DSM−Wでは、人格障害として他に「妄想性人格障害」「分裂病質人格障害」「分裂病型人格障害」「反社会性人格障害」「演技性人格障害」「自己愛性人格障害」「回避性人格障害」「依存性人格障害」「強迫性人格障害」「特定不能の人格障害」といった分類を挙げている。
境界例に特徴的な対人関係のパターン
境界例の人は表面的には他人とうまくつきあうことができる。知的であったり、表面的にはそれなりの社会適応が保たれているので、医療の場にコンタクトしてくることは少ない。したがって、カウンセリングや電話相談でのかかわりが増えがちとなるようだ。最近の傾向をみると、当研究所の電話相談室でも同様な例を示し、社会にうまく適応できない人からの相談が目立ってきている。
境界例の人たちは周囲の人と絶えずトラブルは起こしながらも、基準(1)で示されるように依存的な傾向が強く、人に頼りたいとの願望が働いて、周囲とうまくゆかない分だけ相談機関に頼ろうとする。電話相談をつとめるカウンセラーによれば、その特徴は以下のようにまとめられるという。
- 電話をしてくる人は、カウンセラー(相談員)とのかかわりの中で過度に自己の内面を吐露し、相談員の同情を求め、味方になってほしいという要求を強く示す。受け手の都合は無視し、一方的に語り、相談員にも同様に受けとめ、感じるよう求めてくる。
- 「寂しさ」「甘えたい」気持ちを頻繁に示すが、率直でなく、歪んだ攻撃的なすねた形での表出が多い。
- 他人の言動に傷つけられやすい自己愛をもっている。一方で、自分自身の言動が他人にとってはどのような影響を与えているのかには鈍感である。
- 語られる内容は、本人の現実世界の事柄(事件)ばかりである。
- 変化することへの抵抗が強く、問題解決(直面化)を避けたがる。他者とのかかわりが不安定で、感情のコントロールが弱く、他者を自分の思い通りに操作しようとする。自分の思うように対応してもらえないと平静状態から一転して怒りを噴出させる。
- 自分の依存心を満足させてくれる人、自分の思うようになる人、共感的になってくれる人、指導的になったり、指摘したりしない人に対しては、理想化し、関係を強化していく。逆に、自分の思い通りにならない相手、直面化をする人には価値を切り下げる。
こうした特徴が実社会でのトラブルになっていることは想像に難くない。カウンセラーが神経を使うのも、態度を豹変させたり、その攻撃性にあるようだ。一度こじれると修復がきかず、相談機関には、「カウンセラーとしてふさわしくないから、やめさせろ」と苦情をいったり、いやがらせの電話をしたり、ひどい例では弁護士をたてて訴訟を起こすこともあるという。
また、元来相談は問題解決のために電話をしてくるのが目的だが、境界例の場合は誰かに分かってほしいという願望だけが強いので、上記の特徴からも分かるように、問題解決に向けて真正面から取り組もうという意思は希薄な場合が多い。そこで、電話をしてくる度に話が変わり、解決の方法を問おうともしないという。さらに、満たされないとあちらこちらに電話をすることになる。
この種の人を相手にするにあたっては、カウンセラーの心得として、@行動をみつめさせる、A衝動をコントロールさせる、B健康な自我を強化できるように働きかける――などを挙げている。ただし、カウンセラーでも対応に苦慮する相手なので、実社会で心得のない人が対応する場合は、それ以上に大変だということになる。
育った家庭の歪み
このような人格が形成されるには、早期の親子関係とくに分離、固体化の時期(生後18カ月〜36カ月)での母子関係の歪みなどに原因があると考えられている。たとえば、父親が薬物やアルコール依存で暴力をふるうような家庭で育った場合、夫婦仲もよくない中で、常に親の顔色をうかがいながら育つ。母親からは、自分のために離婚はできないと言われたりする。この結果、本来なら、自分を満たしてくれる親の愛情の欠如と、自分さえいなければ(母親は離婚できる)、という二重の心の負担を背負うことになる。親の間に入ってもめごとを収めるませた子供、親夫婦の蝶番となるよう立派な子供を演じようとする。
このまま自己の確立が不十分なまま思春期を迎えて、自分の中で葛藤が始まり、何かしらの息苦しさが覚えるようになるが、はっきりとした自覚もできずに、現実の生活では「親離れ」「子離れ」ができない状態が続くことになる。親の期待に応えようと育ったため、表面的には「まじめ」で「純粋」「一生懸命」な印象を与える。この一生懸命さは、自分の中のモヤモヤとした感情をごまかすためでもある。また、前記したように自己の確立が不十分なため、裏返しとして暴走族活動にも同様に“まじめ”に取り組んでしまうという危険性まではらんでいる。
また、幼児体験がトラウマとなって、大人になっていろいろな症状がでてくるものとしてアダルト・チャイルド(チルドレン)(AC)が、クリントン米国大統領などの告白で有名になったが、この場合もアルコール乱用、またはアルコール依存症の親を持つ家庭の中で育って大人になった人(人々)を指す言葉であり、非常に似かよった境遇をもっている。
「課題達成型」の社会にも遠因
境界例の人は、企業の中で働いている場合、面倒見のよい上司に恵まれれば、普通の人以上に一生懸命働く。ところが、上司が代わって今度は自主性をもって行動するように言われたりすると、どうして良いか分からず、パニックに陥ってしまう。こうした状況は昇進などによっても生じる。有能さを認められて、いざ管理職に登用されると、何をしてよいか分からずに混乱してしまう。ある日突然、出社拒否症になってしまうという例もあるそうだ。こうした人にはどのように対処したら良いのかをカウンセラーに聞いてみると、上司の心構えとしては、責任を共同してもってやることだという。
もちろん、境界例の人は企業で働いている人だけに限ったことではない。主婦や学生などにもみられ、どちらかというと、20、30歳代と若い人に多いようだ。テレホンクラブや電話相談機関のハシゴをしたり、満たされない心を何とか満たそうとするようだ。
つきつめると、境界例は現代社会の価値規範の多様化が影響していると考えられている。現代人がその中で何を求めて良いか、分からずに生きている。社会に生活するわれわれの精神構造自体、境界例の人のもっている対人関係パターンや精神構造をもっているというのだ。
あるカウンセラーによれば、とくに日本社会の場合、子供のときから試験のための「課題達成型」の教育の影響は大きいという。さらに、全体が依存しあう社会構造自体も自己と他者の境界を曖昧にしており、問題の根が深いことを指摘している。




